日本語は外国語

自分がタメ口を使っていませんか?

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タメ口で話しかけられて不快になっている方、ご自分がタメ口で話していませんか??

「タメ口」というと、若者が使う言葉、フォーマルではない場面で使う言葉のような響きなので、
ここでは日本語教育で使う文法用語「普通体(ふつうたい)」と呼ぶことにします。
(ちなみに、「です・ます」で表すものを「丁寧体(ていねいたい)」と言います)

今回は、以前にも別記事でも書いた「普通体はタメ口?」の延長になります。

普通体の使用

我々日本人が普通体を使うのは、相手が次のような人達です。

・友達や家族

・親しい人間

・後輩

以前の記事では、このような「親しい関係、友人、自分が上の立場」ではないのに、
普通体を使って話してしまうと相手は不快に思うことがある、ということをお話ししたかと思います。

→まだ「普通体はタメ口?」を読まれていない方はこちら

この普通体の使用は日本語の問題というより文化的な側面が大きく、
また、人それぞれの価値観によるところも大きいという面倒な側面もあります。

・上下関係

・親疎

・相手との距離感

など、「どうすることが正解か」と簡単には定義できない曖昧さの上に成り立っています。

このように使用が難しいものであるということは、

日本文化に精通しているわけでもない外国人だけの問題ではない

ということも言えるのです。

そのことを知っていただきたく今回の記事を書くに至りました。

彼ら側の問題

もちろん、彼らの学習環境、学習方法が原因である場合も多くあります。

例えば、アニメやドラマ、漫画で学んだ人達。

その中で使われている言葉をそのまま使ってしまっている外国人は多くいます。
中には時代物のセリフを覚えて使っている、なんていう人もいました。

彼らは、その使用場面や相手はあまり気にせず、
日本語のフレーズだけにフォーカスしてその表現を覚えてしまうんですね。

当然、覚えたら使いたくなります。

でも、実際に使ってみると笑われたり、トラブルになったりする。

また、日本人の「友達」に囲まれて学んだという人。

周りが自分と同じステージにいる人間なら、
そういう仲間内で使う日本語(友達言葉)が多くインプットされます。

それを場面や相手が変わっても同じように使ってしまい、トラブルになる。

日本人側の責任

では、「我々日本人の問題でもある」というのはどういうことなのでしょうか?

ヒントは上で二つ目に書いた彼らを取り巻く環境です。

要するに、会社などで彼らにとって

「普通体を覚えてしまう環境」を知らず知らずに我々が作ってしまっている

ということです。

言い換えれば、私達自身が普通体を使っているということです。

彼らに対して普通体で話す人間。

上司、先輩、同僚、掃除のおばちゃん、警備員さん…

もし外国人の彼らが新入社員であったなら、
彼らの周りの人のほとんどが彼らに対して「普通体」で話しかけているのではないでしょうか。

元気?

 日本の生活に慣れた?

 昨日の領収書、もう出した?

 

これに対する外国人の答えはこんな感じでしょうか。

元気?
…元気。

 日本の生活に慣れた?
…慣れない。

 昨日の領収書、もう出した?
…出した、出した。

友達や同期なら全く問題のない会話です。

しかし、あなたが彼らの上司や先輩なら、どうですか?

元気」じゃなくて、「元気です」だろ!

「慣れていません」でしょ!

「出した」じゃなくて、「出しました」って言え!

ここがポイントなんです。

我々は自然と、意識せずに、反射的に相手と自分の関係を考えて言葉の使い方を選んでいます。
それができるのは日本で生まれて、日本の社会で育ったからです。

しかし、私たちが当たり前にしていることを外国人もできるかといったら大間違いです。

「ご飯食べた?」と聞けば、「食べた」と答えますし、
「どう?」と聞けば、「おいしい」と答えるのです。

聞かれた日本語と同じ日本語で答える。

上司:ご飯食べた?

部下:はい、もう食べました。

この答え方が我々が思っている以上に難しいのです。
そして、この「我々が思っている」というのがこの問題の本質なのです。

何度も言いますが、

我々には普通でも彼らにとってはそうではありません

我々が普通体で話しかけていること自体が彼らに普通体で話させることになっている
ということに気づいている日本人は多くありません。

我々がすべきこと

では我々はどうすればいいか。

相手に使ってもらいたい言葉で話しかける

これだけです。

彼らは日本人とは違います。

状況や相手を考えて使い分けろ、と言うのは
あまりにも都合が良すぎますし、優しくありません。

外国人と接する機会が多い人は、自分が彼らのモデルになる可能性があるということに気づくべきです。

自分の日本語の使い方が彼らの日本語に影響するかもしれない、と考えるのです。

彼らが自分以外の日本人と話した時に、自分と同じ話し方をしても困らないだろうか、と考えるのです。

ものを教える立場でいると、相手は教える人間の真似をよくしますし、上手です。

皆さんも昔、先生の真似、しませんでしたか?

教育の場でなくても、私たちは相手を見るし、見られている、ということなのです。

彼らの日本語力だけを取り上げて批判をしたり、諦めたりする前に、
自分の言葉の使い方をもう一度、客観視してみてください。

もしかしたら、あなたの周りで頑張っている外国人を見る目が少し変わるかもしれません。

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