この2つの表現は日本語学習者がかなり初期の段階で学習するものの一つです。使用頻度と重要度の高い表現だからなのですが、私たちも当然普段からよく使っていますよね。
まずこの2つの表現の違いです。
『と思います』
あらゆる可能性の総合から論理的に引き出される結果を推量し、答えとして述べるのに使われる。
『かもしれない』
ある事態の実現や実現しない可能性の1つを述べる。
つまり、『と思います』はその判断に至る論理的材料がある時で、『かもしれない』の方はあくまで可能性を述べるに留まるということです。
こんな使い分けを我々は自然にしているんですね。
と、この違いを皆さんにお伝えしようと思っているわけではありません。これだけなら文法書やインターネットを見れば簡単に探せる情報のレベルです。
ここではもう一歩踏み込んだ、学習者の認識と我々の使用法の違いから起こるコミュニケーションのズレ、について考えてみたいと思います。
実は学習者が『かもしれない』を学ぶ段階では、それほど多くの文型や語彙をまだ知りません。これが原因で起こりやすいのが『と思います』と『かもしれない』の混同です。
どちらも同じ使い方だと思ってしまうんですね。
多くの場合、どちらの表現も“する” “しない”の二者択一に用いる表現だと誤解して覚えてしまうのですが、それは次のような例を出して導入されることが原因だと考えられます。
「もう9時ですが、〇〇さんはまだですか?」
「わかりません」
「そうですか、今日は来ないかもしれませんね」
これだと“来る” “来ない”の二択の結果で “来ないと思う” という推量をした、と同じだと理解してしまうのです。
でも、上の会話、「来ないと思う」ではありませんよね?
『かもしれない』は先程の説明のように可能性の一つを伝えているに過ぎないのですが、『と思います』と混同して覚えていると、その人の選択という理解になってしまいます。そうなると発する側と受け取る側の間に認識のギャップが起こるわけです。
もう一つ例を挙げてみましょう。
「次の□□は、〇〇さんかもしれないね」
話者は数いる候補者の中から〇〇さんであることをあくまで可能性として述べているだけなのですが、『と思います』と考えてしまっている聞き手だと、何か論理的な理由からくる推量と捉え、「私かぁ…」となります。
「~」が “リーダー抜擢” など良いことなら変に期待を持たせてしまうことになりますし、「~」が “転勤” など望ましくないことなら変に構えさせてしまいます。
ただの 可能性レベル なのにです。
その結果、期待や心配と違う結末になった時に、聞き手側が感じること。
「なんだよ~、違うじゃないか…」
となるわけです。
断定や言い切りを避ける言い方は丁寧で、時に相手を思いやる表現の仕方であると言われる日本語。その文化自体は良いものだと思いますし、僕自身もそういう言語活動をしていることは多くあります。
今回取り上げた『かもしれない』もこのような意図で使用されることもしばしばあるかと思います。
しかし、相手が日本社会で育っていない、そして日本語が母語でない方であれば理解のズレが起こることも考えられることを覚えておく必要はあると思います。
細かいことなのですが、些細なズレが積み重なると大きな掛け違いに発展するというのは、家族や友人、夫婦関係でもよくあること。
僕自身も自戒を込めて気をつけたいものです。
最後に、
ではどうすればいいのか、です。
正確に伝わるのであれば、言葉は増えてもいいと思います。恐らく、それが面倒だと感じる日本人は多いでしょう。日本人同士であれば、「そこまで言わなくてもわかるだろ」「そこまで言わなくてもわかるよ」ということで省略した会話になるのだと思いますが、相手が外国人の場合は、「そこまで言う」ぐらいでちょうど良いのかなと思います。特に仕事、業務、手続きなど確実なコミュニケーションが必要となる場面では絶対的に安全であると言えます。
ご自分の『かもしれない』の使い方、
一度振り返ってみるとおもしろい “かもしれません” よ。
*曖昧な日本語表現についてはこちらの記事でも書いています。