日本語は外国語

否定表現ってなるべく使いたくないですよね?

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日本語教育の専門的な観点からではなく、あくまで一般企業内で外国人に接した時に聞くであろう日本語の間違いと、なぜそれが起こるのかについて、これまで多くの留学生を見てきた日本語教師としての分析をわかりやすく述べたいと思います。

社内でのコミュニケーション改善に役立てていただければ幸いです。

否定表現

否定表現の使用については、単に言葉や表現だけの問題ではなく、
文化的なことや国民性も大きく関わっています。

日本を例にとると、日本社会というのは独特だとよく言われます。

海外に行ったりすると、彼らの言うことは決して大げさではないということがよくわかります。

そんな独特な社会の習慣は、
きっと外国の人にも独特な習慣なのだと思います。

日本語教師としてこれまで多くの外国人に接してきましたが、
否定表現の使い方について彼らの多くが口にするのは、
「理解できない」でした。

この記事では、どちらがいい、悪いということをはっきり決めるのではなく

・違うということ

・その違いをどう捉えるか

・お互いどう歩み寄るか

を考える場にしたいと思います。

否定表現とは

否定表現とは否定的な意味を持つ表現や言葉のことを指します。

否定形

「したくない」「やらない」「知らない」「おいしくない」「誠実じゃない」

否定的意味を持つもの

「嫌い」「まずい」「無理」「変だ」「最悪」

我々日本人は文化的な習慣から、
相手に発する言葉がネガティブなものだと、
直接的な表現を避ける傾向にあります。

特にビジネスシーンでは、ネガティブなことは相手を慮ってはっきり言わず、
間接的な表現を使うというのが常識となっています。

会社などの組織や取引先などの対外的な場面だと、
円滑な人間関係の構築のためには絶対に気をつけなければならないものですよね。

言いにくいことははっきり言わずとも、
日本人同士なら意図していることや言わんとしていることはわかってくれるだろう。

こんな考えがベースにあります。

「何も言わなくてもわかるだろう」
さらに進むとこんな感じでしょうか。

ただ、これは日本人同士なら成立する話です。

なぜ否定表現が問題になるのか

前述のように、日本人はあえてそのような否定表現を避けていますが、
日本で働く外国人にはそのような習慣がない社会で育った人も多くいます。

彼らは我々日本人が言いにくいことでも本当にはっきりと言います。

それを我々が聞くと、こう思いますよね。

「相手の気持ちを考えたら、なんでそんなにはっきり言いにくいことが言えるんだ…」

それを「違い」として捉えられるのが一番ですが、
はっきり言われると我々はちょっと凹んでしまいます。

我々日本人は自分たちがはっきりとは言いませんから、
言われることにも慣れていないんですね。

でも、外国人に言われたのなら、
日本人に言われた場合とは意味合いが違うので(日本人に言われたのならよほどのことでしょう)、
考えすぎることはないと思います。

彼らは悪意や攻撃的な意味を持って言っているわけではないようです。

思ったことは言う

自己主張はしっかりする

伝えなければ、相手はわからない

彼らのメンタリティーはこうなんですね。

我々は否定的な言葉は避ける社会で育った。

彼らははっきりと主張する社会で育った。

それだけの「違い」です。

では、違うことは理解しているのに、なぜ問題が起こるのか、です。

「この企画書、明日までに仕上げられるかな」
「無理です」

 

「今度のプロジェクトに参加してくれますか?」
「参加しません」

 

「この間のお土産はどうでしたか?」
「あまりおいしくなかったです/あまり好きじゃありませんでした」

うーん、やはり素直に「そうですか」と言う気持ちには慣れませんね…(笑)

初めの二つは「仕上げられるか」「参加できるか」と言うことを聞いているのではなく、
言外(げんがい)で「明日までに仕上げてくれ」「参加してしろ」と言って指示しています

でも、言葉だけを聞くと、確かに「聞いている」だけですよね。

三つ目は、お土産だとここまではっきり言う外国人はそう多くないかもしれません。

相手の国の料理について聞かれた時や、
誰かが予約をしてくれた店の料理、ご馳走してもらった時にも
「おいしくない、口に合わない、甘い、辛い…」など、
はっきりと「感想」をいう外国人は少なくありません。

我々は目の前にいる人やその人に関係のある人が関わっていたら、
否定的な表現はなるべく避けますよね。

相手の国の料理なら「おいしくない」とは言えない、
「せっかく予約してくれた」のだから…、
「ご馳走してくれている」のだから…、
と考えて言葉を選びます。

外国人にしてみれば、聞かれたことに答えただけ、ぐらいの意識。

日本で働いているからと言って、
同じようなことを外国人にも強いるのは少々酷かもしれませんね。

解決策

考え方が違うとわかっていながら問題が起こるのは、
不快感や違和感が理解を示そうという感情を上回ってしまっているからです。

わかっているけど、イラっときてしまう。

お互いに相手を理解する気持ちが欠けていることから起こる問題です。

日本人というのは非常に順応性に優れた国民であると思います。

すぐに外国人に日本の習慣を強いるのではなく、
我々が違いを理解して少しずつ日本社会での振る舞い方を教えていってあげればいいのです。

相手を慮る日本の気配りは、僕はすばらしいものだと思っています。

日本のすばらしい文化の一つとして、
彼ら外国人にも受け入れてもらえたらと願います。

でも、こう思うのもやはり、日本人的順応性ゆえ、なんですかね。

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