「実家に帰る/帰った」
馴染みのある表現ですよね。
まとまった休みや帰省の時期に使うことが多いでしょうか。
では、日本語がネイティブではない人が同じことを言う時も同じ言い方になるのでしょうか。 「実家」という日本語がわからず調べた場合、というのを加えてみます。
結論から言うと、同じ言い方にならないことが多いんです。 翻訳アプリなんかで調べると、なかなかの確率でこのような言葉が出てくるからです。
『故郷』 こきょう/ふるさと
おそらく、意味としては「幼少期に過ごした場所」「両親が住んで知る場所」という意味から出てくる言葉だと思うのですが、我々ネイティブにとっては会話や余程改まった場面でなければ、この「故郷」という語彙を使う頻度は極めて低いのではないかと思います。
「故郷に帰る/帰った」
なんだか文語的で小説の一節みたいですよね。
雰囲気たっぷりではありますが(笑
でも、本当に外国人学習者からはよく聞く日本語なんです。
このように、意味としては非常に近い言葉でも、使い方や使う場面が明らかに違う言葉というものは結構あるということに外国人と接していると気付きます。使い方やニュアンスといったものこそ言語を学ぶおもしろさの一つでもあると思うのですが、実際に彼らが持つイメージは「難しい」「大変」の方が勝っていることがほとんどです。
・辞書で調べて、いざ使ってみたら「そんな言葉は使わない」と言われる
・自分が選んだ言葉はネイティブに使われていない言葉なのではないか心配
・場面や相手に合った言葉というのは教科書通りにいかず、不安でしかない
彼らは常にこのような不安や迷いというものを抱えながら、外国語である日本語を使ってコミュニケーションを取っていると考えてあげた方がいいと思います。
しかし一方で、こんな考え方もできます。 誰かに指摘された場合。 これはインプットとしてかなり強いものになります。 そして定着度の高い最高の「実践学習」につながる。
テキストや座学でいわゆる「お勉強」をよくしている人よりもネイティブとの接点が多い環境にいる人の方が場面や相手によって臨機応変にコミュニケーションを変えることができるため、自然なコミュニケーション力がある、というのは多くのノンネイティブの方に当てはまります。ですから実践で鍛えるメリットはとてつもなく大きいんですね。
もちろん、日常的なコミュニケーションだけに偏りすぎるのも、また一定のレベルの語彙の域を出ることがなく、総合的な日本語能力という観点で考えると不十分と言えます。そしてこれは、まさにそういった日常のコミュニケーションに長けている人たちからよく聞く悩みでもあります。
「コミュニケーションは問題ないけど、いつも同じ言葉を使い回しているし、成長がない。 使える場面も限られているから、新しい環境に飛び込めない…」
ということで、 テキストなどで学んできた人にも「学んだ言葉が使われていない」という悩みがあり、実践で身につけた人にも「使える日本語が限定的」という悩みを抱えているわけです。
言語においてもバランスはとても大事。 ここでいうバランスとは、学ぶ内容もそうですし、自分をどんな環境に置くかも含まれます。
最終的にはしっかりとした目的設定をし、 環境、よく触れるもの、接する人 を考えてどのような日本語を身につけるべきか、そのためにはどのような学びのスタイルにするかを決めるのが理想的だと言えるでしょう。
*外国人材の日本語学習についてはこちらの記事でも書いています。